「あなた」という定義がなかったら、あなたはどんな存在だろう?

太字が守護霊、細字が僕(はるこん)です

「あなた」という定義がなかったら、あなたはどんな存在だろう?

昨日の最後に、「あなたは時間を超えている」と話したね。
また、「あなたはその思いによって世界を創っている。
そして、その世界という体験から得たフィードバックをもとに、思いを変化させている。
形而上では、脚本が次々と変化する」、と。

そうですね。
でも、いくつかよくわからない箇所があります。

わかる場所もあるのかな?

まぁ、「あなたはその思いによって世界を創っている」というのはわかります。
形而上から思いによって脚本を形作り、現象として体験しているのは僕ですからね。
その意味で、僕がこの思いによって世界を創っているというのはそうだろうなと思います。

それで?

でも、時間を超えているってのは、わからないというか、実感がないというか、、、

「自分の思いによって世界を創っている」ということには実感がある?

そう言われるとな、、、
物事の解釈(世界観)については実感を伴って自分で創っていると思っていましたけれど、、、
起こる出来事自体とか、現象自体をっていうのは、まだ半々くらいな感覚ですね。

半々?

なんというか、心を開いて「そういうこともあるかもしれない」と思い始めて過ごしていたら、なぜか腑に落ちる瞬間があって。
「あぁ、そうか、、、!」と気づく瞬間というか。
そういう瞬間には、自分で創っているという確信に近いものがあるんです。
今、選んでいるという。

どういうときにそうなる?

大体、、、瞑想的な雰囲気になってるときですね。
このところ、認識が展開していることに気づく瞬間が増えていて、そういうある種の見守り状態になっているときに多いかな。

その状態の時、あなたは広がっている。

広がっている?

見守っているとき、あなたは「あなた」という定義、世界観、思いから少しだけ離れている。
その分自他の、そして現象世界の中と外との境界線が緩やかになり、認識の範囲も広がっているのだ。

なるほど。

脚本はみんなで作っていると言ったね。

言いましたね。

境界線が緩やかになればなるほど、その「みんなで作っている」という感覚に近づく。
みんなといっても、実際にはそれぞれの個人というのはいないがね。

というと?

「あなた」という定義がなかったら、あなたはどんな存在だろう?

僕に「僕」という定義がなかったら?
それ僕っていうのかな(笑)

そう、「僕」とはもう言わないね。

あっ、そうですよねやっぱり。

それぞれ、個を個たらしめている定義がなくなれば、境界線はない。
誰それというのはなくなって、ひとつながりの「一つ」があるだけだ。

現象世界のワンネス?

違うとわかって聞いているね?
現象世界はある意味では影だ。
定義はその外にある。
その定義がなくなれば、そこにあるのは光だけだ。

全体意識の光?

そう。
物事を形作る光、形而上の光、天の光だ。
その光に照らされることで、現象世界が映し出される。
あなたがたの思い、定義がある種のフィルムとなり、その影がスクリーンに映る。

フィルムが脚本で、映る映像としての影が現象世界だと。

そういうことだ。
そして、思いが変われば脚本が変わる。
影のあり方も同じく変わる。

なるほど。
あ、でも、それについてももわからないことがあるんだった。
思いって、どうやって変わるんです?
「世界という体験から得たフィードバックをもとに、思いを変化させている」って言ってましたけど、、、

現象世界を観れば、思いに気づくことができるね。
自分の中にある定義を知ることができる。

そうですね、、、そういう視点があれば。

それは大切なことだ。
「そういう視点がある」ということがね。
そういう視点がないと、フィードバックにならない。
ただ混沌とした思いの変化があるだけだ。
それは混沌とした現象を映し出すだろう。

逆に言えば、現象世界を観て思いに気づくという視点があれば、、、
なんだろう、、、?何かを変えていける感じ?

世界を創ることができる。

あぁ、そこにつながるわけか。
そりゃそうか。
でも、、、

でも?

思いによって、形而上から一組のパッケージを脚本として形作ったとき、そこにはもうある事柄の始まりから終わりまでが同時にあるわけですよね?

そうだね。

それなのに、その脚本を認識のカメラで映し出している途中で、映った内容のフィードバックをもとに思いを変える??
また新しい脚本を創るということですか?

そうなるね。
実際、あなたの脚本も変化し続けている。
変化しているおかげで起きずにすんだ体験もあれば、変化しなければ得られたであろう逃した達成もある。

逃した達成、、、!
そのフレーズだけで悔しい!笑

さて、そろそろ終わりの時間だね。

そろそろというか、すでにお守護さんからお叱りを受ける時間ですね(笑)

では終わろう。
無理をしてはいけない。

そうですね。
じゃあ今日はここまでにします。
ありがとうございました!

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コメント

  1. ゆきを より:

    こんちは、はるこん。

    「変化しなければ得られたであろう逃した達成もある。」

    ここ読んだとき「タラレバ」って言葉が思い浮かんだよ。

    過去の、ある時点を振り返って「もしかしたら~、こうしてれば~」って思えるポイントって、明らかに、直前に脚本が変わったトコなんだろ~ね~。

    想像できるってことは、そのパターンの脚本もあったはずだろうしねー。

    まぁ、過去のことなんで、確認作業にしかならないけど。

    とりあえず、個としての損得勘定がこう言ってる。  

    「ク~!、惜しいよな~!」

    • はるこん より:

      ゆきをさん、コメントありがとうございます。

      >想像できるってことは、そのパターンの脚本もあったはずだろうしねー。

      そうなんでしょうねきっと。
      なにせすべてのパターンがあるらしいので(想像できないけど)。

      しかし、損得勘定ふくめて自分で作っていると思うと、なんだか不思議ですよね。