イマジナリ―フレンドとは何か⑤【「自分」という空想上の人物を超えて】

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太字が守護霊、細字が僕(はるこん)です

イマジナリ―フレンドとは何か⑤【「自分」という空想上の人物を超えて】

さて、今回はイマジナリ―フレンドシリーズ最終章です。
最後に、「僕(はるこん)」というイマジナリ―フレンドについて、対話してみましょう。
ですよね、お守護さん?

いいわよ。
その気になったようね。

そうですね、不思議と。
昨日からの不調で24時間強制断食することになり、その後急に普通に食べたせいで今日はもうダメかと思うような雰囲気だったんですが、なぜか今はクリアです。

奥さんの手料理がおいしすぎたのね(笑)

そう(笑)
米粉のホットケーキが素晴らしくて、つい普通に食べちゃったんです。
断食後のホットケーキ。
その後の不調はなかなかのものがありましたね、、、

さぁ、ではいきましょうか。
まずあなたが自分だと思っている人は、定義の総体であるということは知っているわね。

はい。
名前や役割、性格や記憶など、「自分とはこれである」、「自分とはこういうものである」という定義によって、「僕」は構成されています。
表だって意識できる定義も、無意識的にしている定義もひっくるめてね。
定義=「僕」と言ってもいいんじゃないかな。

そう。
じゃあ、その定義は超えることができるというのも、すでにわかっているわね?

そうですね。
「自分探し」というテーマで使い古された表現な気がしますが、「自分とは○○である」という定義は超えることができます。
「元々超えているものだ」っていうのが正確な表現かな。
元々、自分は名前ではないし、役割ではない。
自分が決めた自分でも、他人が決めた自分でもない。
定義は後からくっつけたものであって、自分そのものじゃないから。

そうね。
定義は後からくっつけたものであって、自分そのものじゃない。

だから「あなた」は、空想上の人物なのよ。

空想、、、
空想?
ちょっと意味確認していいですか?

どうぞ。

ウィキペディアによると(出典こちら

空想(くうそう)

  • ファンタジー
  • 空見のこと。
  • その時点では実現されていないことに対し、頭の中で実現している場面を想像すること。

実在しない物、事柄に対して「空想上の産物」「空想上の生物」などと用いられる。

だ、そうです。
用例の部分がわかりやすいですね。

そうね。

で、その用例によると、空想という言葉は、実在しないもの、事柄に対して使う言葉です。
ってことは、空想上の人物といったら、実在しない人物という意味になるわけですよ。

間違いないわね。

じゃあ僕は、実在しない人物??

「後から定義をくっつけたものの総体」という意味での「あなた」は実在しないわね。
でもあなたは限りなくその「あなた」として過ごしているから、あなたは実在しないと言ってもいいくらいなんじゃないかしら。

ちょ、「いいくらいなんじゃないかしら」って(笑)
ってか、「『あなた』は実在しないけど、定義を超えたあなたは実在しているわよ」みたいなフォローはないの?

もちろんそれはそうだけれど。
今回は、あなた自身が限りなく「イマジナリ―フレンド」であるということを理解するための対話ですからね。

あぁ、そうだっけ。
まぁそうか。
確かに、定義の総体、、、空想上の人物、、、
そうなると僕は、、、イマジナリ―フレンドか、、、
いや、イマジナリ―セルフか!

名前はただの定義ね。

そうっすね、、、

その定義を超えやすくするための対話なのよ。
勘違いしないように伝えておくけれど、「あなた」自身がイマジナリ―フレンドであるということが、何か悪いことだというわけじゃない。
定義に縛られた「あなた」だって、それはそれでいいの。
でもね、自分がこうだと思っている自分が、イマジナリ―フレンドと呼べるほど空想上のものだと理解すれば、あなたはもう少し自由に世界と遊べるようになるわ。

自由に世界と遊ぶ、か。
まぁ、やっぱり僕は「僕」に縛られてますもんね。
それがただの定義だと、超えることができるものだとわかっていてもなお、囚われるし。

だから瞑想が役に立つのよ。
頭でわかるだけでは、そう簡単には超えられないでしょう。
もちろん、簡単に超えてしまってかまわないんだけれど。

ですね。
体に落とし込むというか、それを生きれるようにならないと。
僕は程遠いな。

それも定義ね。
でも実感なのだから、嘘をついても仕方ない。
「自分はまだまだなんだ」と思い込むかわりに、ただ、今を生きなさい。
直感を、本心を感じてね。
それは定義を超えたところから来る。

ふむ、わかりました。
しかし慣れないな。
僕がイマジナリ―フレンドだっていうその表現が慣れない(笑)
でも、だからこそ、自分をより客観視できるかもしれないですね。

そうね。
その「自分」との隙間に、ひらめきが、明るさがやってくるでしょう。

あぁ、そうか。
そうだよな、、、
なんか、それはとても大切なことだって気がする。

その通りよ。
その気づきの為の対話だったのだから。
さぁ、時間も時間だし、もうゆっくりお休みなさい。

わかりました。
また日をまたいじゃいましたね。
じゃあ、とりあえずイマジナリ―フレンドシリーズが終わってよかった!
ということで、今日はここまで!

コメント

  1. ゆきを より:

    はるこん、こんちは。

    一区切りつきましたね。忙しい中お疲れ様でした。

    今回は、「まぁ、やっぱり僕は「僕」に縛られてますもんね。」って一文に関心が。

    僕の場合こういう表現になりますね。

    「まぁ、やっぱり僕は「僕」にしがみついてますもんね。」って感じ。執着してるって感じ。好き好んで。

    以前、これに気づいてからは不満やイライラが湧いてきても、

    「あぁ、このイライラは自分が好き好んでしてるんだなぁ~」と度々は思えるようになって。

    更には、良い感じも悪い感じも自分で選んでるだけで、自分以外のせいにするってのはなぁ・・・。

    ってとこに落ち着いてる感じです。

    とにかく他人のせいにしてても、解決はしないし、疲れるし。ってのをさんざん繰り返した結果こう思えるように。

    今は少し楽に過ごせてるかなと思えます。

    今回、再確認できるきっかけになりました。

    いつもありがとう。では。

    • はるこん より:

      ゆきをさん、コメントありがとうございます。

      >自分が好き好んでしている
      >他人のせいにしてても、解決はしないし、疲れるし

      まさにその通りだと思います。
      自分なんですよね、要は。
      その自分がイマジナリ―フレンドだとしても、あるいはだからこそ。
      自分をよくみなきゃなぁと思います。

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